昭和44年「六・二 東北大学監禁事件」
大学立法反対闘争の夜、警察官が学生集団に連れ込まれた数時間

昭和44年 1969年
宮城県仙台市片平町 東北大学  宮城県仙台市青葉区片平 

■事件概要

1969年 昭和44年。

日本の大学は、戦後史の中でも特に激しい政治的対立に揺れていた。

東京大学、日本大学をはじめ、全国各地の大学で校舎の封鎖、学生大会、ストライキ、教授会との対立、警察との衝突が相次いだ。ヘルメット、角材、バリケード、投石、機動隊、催涙ガスという光景が、新聞やテレビを通じて日常のニュースとして報じられていた時代である。

その波は仙台にも押し寄せていた。

1969年6月2日、東北大学川内教養部の反帝学生評議会、いわゆる「反帝学評」を中心とする学生らが、「大学立法粉砕」を掲げて仙台市内をデモ行進した。

当時、政府は大学紛争への対処を目的として「大学の運営に関する臨時措置法案」を国会へ提出していた。国立国会図書館の日本法令索引によれば、法案提出は5月24日。成立は8月3日、公布は8月7日である。つまり6月2日は、法律がすでに成立した後ではない。国会審議を前にして、学生たちが「成立させるな」と激しく反発していた時期だった。

この日、川内分校から出発したデモ隊は仙台市内を進み、夕方には警察の阻止線との緊張を強めた。

午後6時18分ごろ、警察はデモを指導していたとみた東北大学法学部2年の井上博隆を、公安条例及び道路交通法違反の疑いで逮捕した。

その約10分後。

仙台中央警察署警備係の巡査部長、前川和彦、37歳)は、私服でデモ隊の動向を追い、証拠収集を行っていた。

学生側から見れば、私服警察官による「監視」である。

警察側から見れば、違法行為を立証するための「視察採証」である。

同じ行為でも、両者の受け止め方は正反対だった。

前川は東北大学片平地区の北門付近で学生らに警察官であることを察知され、追跡された。危険を感じた前川は近くの大丸洋服店へ逃げ込んだが、五、六人ほどの学生に取り囲まれた。

そこで暴行が始まった。

頭を殴られた。

顔を打たれた。

足を蹴られた。

一人が殴れば、別の一人が蹴る。身体の向きを変えようとしたところへ、さらに打撃が重なる。前川はやがて立っていられなくなり、事件史によれば失神状態に陥った。

警察手帳と手錠も奪われた。

意識が戻っても、逃げることはできなかった。

学生らは前川を東北大学構内へ連れて行った。

図書館前広場には、およそ150人の学生が集まっていたとされる。

そこで前川は「自己批判」を迫られる。

警察官としてデモへ「不当に干渉した」ことを認め、文書に署名しろという要求だった。

前川は拒否した。

その後、大学職員が釈放するよう説得したが、学生側は応じなかった。

前川は建物内へ移され、さらに法文二番教室へ連れて行かれた。

タオルで目隠しをされ、両手をロープで縛られた。

午後9時ごろ、大学側は学生に対し、午後10時までに釈放しなければ機動隊が来るという趣旨の警告をしたと事件史は記す。

しかし学生側からは、

「逮捕された学生と交換するまで釈放しない」

という趣旨の言葉が出た。

すでにこの時点で、一人の警察官の身体は、単なる抗議の対象ではなく、警察との交渉材料に変わっていた。

学生側は南門、正門、北門にバリケードを築き、投石用の石や空き瓶を準備したと事件史は記録する。

警察は大学側へ繰り返し解放を要請した。

大学側は説得を続けた。

それでも解放されない。

午後11時が近づき、警察は実力で救出する方針を決めた。

催涙ガス弾が撃ち込まれた。

学生側から石が飛んだ。

防石ネットや盾を前面に出した機動隊が構内へ入った。

午後11時5分ごろ、複数方向から警察部隊が突入。

法文二番教室へ向かい、数時間にわたって監禁されていた前川を発見した。

顔、手、足などには負傷があり、極度に疲労していたとされる。

こうして一人の警察官の監禁は終わった。

しかし事件は終わらなかった。

翌日、東北大学学生自治会連合は、警察の学内進入を批判すると同時に、私服警官を連れ込んだ急進派の行動も批判する文書を出した。

東北大学新聞は、警察側が「救出」と呼んだ同じ出来事を、「6.2機動隊片平構内に乱入」と表現した。

警察にとっては救出。

急進派学生にとっては対立の継続。

別の学生にとっては、警察の学内介入も暴力学生の行為も、ともに批判すべきものだった。

「六・二 東北大監禁事件」は、単なる監禁事件ではない。

1969年という時代に、大学自治、国家権力、学生運動、警察権、暴力、思想が一つの場所で衝突した事件だった。

■いつ・どこで起きたか

事件が起きたのは、1969年6月2日月曜日。

主な舞台は宮城県仙台市である。

出発地点は東北大学川内分校。

デモ隊は仙台市中心部へ進み、東一番丁、片平の東北大学本校周辺、青葉通り、仙台劇場前付近などを移動した。

夕方、警察とデモ隊の緊張が高まり、午後6時18分ごろ、東二番丁の旧電報局前で井上博隆が逮捕された。

その後、前川和彦が学生に追跡され、片平地区北門付近から逃走。近隣の大丸洋服店へ逃げ込んだところを発見され、暴行を受けた。

そして前川は東北大学片平地区構内へ連行された。

構内では、図書館前広場、建物二階の部屋、法文二番教室などが監禁の舞台となった。

事件発生から救出までの中心時間帯は、おおむね午後6時30分ごろから午後11時すぎまで。

わずか数時間だった。

だが、その数時間の中で、

デモ。

逮捕。

追跡。

暴行。

連行。

自己批判要求。

監禁。

目隠し。

ロープによる拘束。

人質交換を思わせる要求。

バリケード構築。

投石準備。

催涙ガス弾。

機動隊突入。

救出。

という出来事が連続した。

大学の日常空間が、数時間のうちに警察と学生が衝突する場所へ変貌したのである。

■登場人物

■ 前川和彦(37歳)
仙台中央警察署警備係の巡査部長。6月2日は制服警官として前面に立つのではなく、私服でデモ隊を視察し、違法行為の証拠を収集する採証活動に従事していた。夕方、学生側に警察官であることを見抜かれ、追跡を受ける。大丸洋服店へ逃げ込んだが捕まり、頭部、顔面、脚部などを殴打・蹴打され、失神状態になったと事件史に記録される。警察手帳と手錠を奪われ、大学構内へ連行され、約150人の学生の前で自己批判を要求された。その後、目隠しをされ、両手をロープで縛られて法文二番教室などに拘束された。深夜、機動隊に救出された。

■ 大島広男
東北大学川内教養部反帝学生評議会、いわゆる反帝学評側の責任者として事件史に名前が記録されている人物。この日の行動は「大学立法粉砕」を掲げるデモとして計画された。大島個人が監禁行為のどの部分に関与したかについては、今回確認した資料だけでは断定できないため、監禁実行者としては扱わない。

■ 井上博隆
東北大学法学部2年。午後6時18分ごろ、東二番丁の旧電報局前で、公安条例及び道路交通法違反の疑いにより逮捕されたと事件史に記録される。この逮捕は、その後の監禁事件で大きな意味を持った。学生側から「逮捕された学生と交換するまで釈放しない」という趣旨の発言が出たとされるためである。ただし、この発言が井上を直接名指ししたものか、また発言者が誰であったかは、今回の資料だけでは確定できない。

■ 東北大学川内教養部反帝学生評議会(反帝学評)参加学生
6月2日のデモを主導した学生集団。事件史では、約270人が川内分校から出発し、別に約300人規模の参加予定集団があったとされる。一部学生は角材を所持し、蛇行するフランスデモを行った。夕方には約120人が残ってデモを継続した。

■ 監禁に直接関与した学生ら
前川を追跡し、暴行し、警察手帳と手錠を奪い、大学構内へ連行した学生ら。事件史によれば、その後の捜査で中心人物とみられる東北大学生二人が特定され、6月15日のデモ時に逮捕された。しかし、今回の資料と確認できた公開資料では二人の氏名を確定できないため、本稿では実名を記載しない。

■ 東北大学学生部関係者
監禁発生後、学生側に前川の釈放を求めた大学側関係者。午後7時40分ごろから説得を行い、さらに午後9時ごろには、午後10時までに釈放しなければ機動隊が来るという趣旨の警告をしたと事件史は記す。大学側にとって、警察官の監禁を放置することも、機動隊を学内へ入れることも、どちらも重大な事態だった。

■ 東北大学学生自治会連合
事件翌日の6月3日、「官憲の大学への強行侵入に抗議し、挑発者『解放派』等の盲動を糾弾せよ!」という文書を発行したことが東北大学総合知デジタルアーカイブで確認できる。この資料は、警察の学内進入を批判すると同時に、解放派、中核派、社学同、フロントなどの暴力的行動にも批判を向けている。学生全体が監禁を支持していたわけではないことを示す重要な資料である。

■ 仙台中央警察署・宮城県警機動隊
監禁発覚後、大学側へ解放を要請し、最終的に実力救出へ踏み切った。南門、正門、北門方面から部隊を展開し、催涙ガス弾を使用。投石を防ぐため防石ネットなどを用いながら構内へ進入し、午後11時すぎに前川を救出した。

事件発覚

事件の発覚は、前川が予定された採証任務から戻らず、学生に取り囲まれたという情報が警察側へ伝わったことから始まった。

午後6時30分ごろ、前川は二人の視察員とともに、東北大学片平地区へ向かう学生らを追っていた。

北門付近で学生が増え始めた。

前川は危険を感じ、北方向へ逃走する。

それを学生らが追った。

「公安だ」

「刑事がいる」

そんな声が飛んだ可能性を、当時の状況から想像することはできる。ただしこれは再現であり、逐語的な記録ではない。

前川は大丸洋服店へ逃げ込む。

ここで追跡が終わっていれば、事件は「私服警官が学生に追われた」という小さな騒動で終わったかもしれない。

しかし学生は店まで追ってきた。

五、六人ほどが前川を取り囲む。

事件史は、その場で前川が頭、顔、足などを殴られたり蹴られたりし、失神状態に陥ったと記録する。

警察手帳と手錠が奪われた。

この時点で、単なるデモの延長ではなく、警察官に対する暴行・所持品奪取という重大事件になった。

さらに学生らは、前川を大学構内へ連れて行った。

警察側にとって深刻だったのは、被害者が「どこかへ逃げた」のではなく、「学生集団に確保され、大学の中へ連れ込まれた」ことだった。

大学構内は、当時の警察にとって簡単に踏み込める場所ではない。

大学自治への介入という政治的問題がある。

無断で踏み込めば、学生運動をさらに激化させる可能性がある。

だが、警察官が暴行され、自由を奪われている。

待っていれば、その安全を保障できない。

警察は大学側へ連絡し、解放を求めた。

大学側も学生を説得した。

しかし前川は戻らない。

時間が経つほど、事件は「警察官が学生に囲まれた」という段階から、「警察官が大学内で監禁されている」という明確な危機へ変わっていった。

■事件の前兆

■当日の詳細

■その後

■まとめ